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インディアンカレー
大阪でウマいもんは何かと聞かれたら、私は迷うコトなく、こう答えるでしょう。

それは「インディアンカレー」やと。

子どもの頃からカレーは好きな方ではなかったのですが、ここのカレーは別扱いというか、「インディアンカレー」という食べ物と認識しております。

こう表現すれば、激しく同意していたでける方もいらっしゃるのではないでしょうか。

魂を揺さぶられるカレー。(笑)
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大阪人の魂を揺さぶりつづけている、この「インディアンカレー」の魅力は、その「様式美」「神秘性」にあると言えましょう。

一発で盛られるご飯。

一発で肉2~3切れをすく上げ、かけられるルウ。

後から継ぎ足したり、削ったりすることが一切ない、一発で決める「妙技」は、長い修行(恐らくインドの山奥で、ではないかと推測します)によって取得されるものらしいです。

カレーが自分の手元に来るまでの間、この店員さんの一連の動きを、凝視すればするほど、まるで静まり返った世界にいるような、不思議な気持ちになります。
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「何故、ここまでする必要があるのか」という哲学的疑問を持ちつつ・・・最初の一口目。

「何や、甘いやんけ」と思ったのも束の間、数秒後に口の中が火事に。(笑)

以降、辛い→ウマい→辛い→ウマい となり、食べ終わる頃には、頭の毛穴すべてから、汗がドバーっと吹き出すのです。

そして、「明日ウンコする時、ヒリヒリするんちゃうか?」と不安になる。

毎回、このパターンです。(笑)

客観的には、色んな意味で殺風景なのですが、内実は、短時間にもかかわらず、色んなコトが展開される、それが「インディアンカレー」の世界であります。



最後に申し添えますと、「インディアンカレー」のレシピは一子相伝らしく、後継者争いから脱落した人の、その後は、誰も知らないらしいです。(笑)
by yabushun | 2012-08-28 06:37 | FOODS | Comments(0)
No.1サック・スーツの謎
1872年頃から徐々に改良されていったブルックスブラザーズのサック・スーツが、現在のような「3つボタン段返り」になったのは、1918年と言われています。

以前、このブログでも、『ブルックスブラザーズ 1915年』(http://yabushun.exblog.jp/15918590)というタイトルで、
レスリー・サルバーグの、

『1915年「ブルックスブラザーズ」では1ブロック先からでも見分けがつくくらいに目立つ4ボタンのジャケットを作っていた。』

という言葉を引用した記事を書き、私自身は、1915年以前に「3つボタン段返り」はなかった、と確信しておりました。

そして、1915年、本社が現在のマディソン街346番地に移転して以降に、「3つボタン段返り」という新しいモデルを作ったのだろう、とも想像しておりました。



しかし、昨年の大阪梅田店30周年記念パーティーの時、BBJ本社のMさんから、

「どうもアメリカでは、1918年以前に存在したことを示す資料が出て来て、大変混乱をしている状況みたいだよ」

という意味の話を聞き、

え〜!今更そんなコト言われてもねぇ・・・
   これは、聞かなかったコトにしておこう・・・
      そうだ、闇に葬り去ろう・・・

と思っておりました。(笑)



しかし、しかし、「No.1サック・スーツ」の完成は、1918年より10年ほど遡る、という説は根強く残っているようです。

土曜日にも神戸店で、この話、聞いちゃいました。

真相は、如何にや如何に。
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     ブルックスブラザーズ 1901年のカタログより
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by yabushun | 2012-08-26 01:32 | CLOTHING | Comments(3)
爆風銃

      爆風銃「いかした Funky ダイナマイト!」


30年前の奇跡的な映像です!

爆風銃(バップガン)は、1981年のヤマハの「イースト・ウエスト」コンテストのグランプリを獲得した、日本初のファンク・バンド。

バンド名は、Parliament の名曲「Bop Gun」からです。

本当に素晴らしいバンドだったのですが、何故かメジャー・デビュー出来ず、1983年に惜しまれつつも解散。

当時、レコード会社の人間は、このバンドが何をやっているのか、どういう切り口で売り出したらよいか、全くわからなかったのでしょうね。

私は、彼等の「追っかけ」をやっておりました。(笑)

渋谷・屋根裏でのラスト・ライブの録音は、今でも大切に保存しております。

メンバーは頻繁に入れ替わったのですが、最終的にはベースの「ほーじん」が加わり、

      ダンシング・フライ(ボーカル)
 
      ドゥーワップ寬志(ギター)

      ファンキー末吉(ドラム) ※リーダー
        →後に「爆風スランプ」

      ほーじん(ベース)
        →後に「爆風スランプ」

      ホッピー神山(キーボード)
        →後に「PINK」

      スティーブ衛藤(パーカッション)
        →後に「PINK」

という布陣でした。

映像に出ているメンバーの平均年齢は22歳。

最年少の「ほーじん」なんか、弱冠20歳でこの演奏です。(苦笑)
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ダンシング・フライ(本名/西村真一さん)の名の由来は、確か、彼がビルの窓拭きのアルバイトをしていて、風に吹かれてフラフラ〜っとしてる姿から来ていたと、聞いたコトがあります。(笑)

このバンドが持っていた、独特なストリート感覚みたいなものは、その彼に負うところ大だった、と思っています。

それにしても、余りに懐かしい。

このライブ映像は1982年なので、ひょっとして、何処かに私がいる?(笑)
by yabushun | 2012-08-23 17:47 | MUSIC | Comments(0)
TRICERATOPS

       TRICERATOPS「Raspberry」1997年


トライセラトップスのデビュー・シングル曲。

文句なしの名曲だと思います。

私はカラオケに行ったコトがないのですが、いつか誰かに誘われるコトを想定して、この曲を準備しています。

「だからいつか一晩中 愛を語り明かそうよ」のフレーズは、照れるなぁ〜。(笑)

どうでもよいコトですが、ボーカル&ギターの和田唱くんを見て、「あいざきしんや」を思い出す私は、やはりオッサンなのでしょうか?(笑)

彼が、イラストレーターの和田誠と料理研究家&シャンソン歌手の平野レミとの息子だったとは、じぇんじぇん知らなかった!
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ちなみに、「ハイライト」が、和田誠のデザインだったというコトは、知っていました。
by yabushun | 2012-08-22 21:47 | MUSIC | Comments(0)
レップ・タイ
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            1947年の広告より


ブルックスブラザーズの有名なアイテムの一つに、「レップ・タイ(Repp Tie)」があります。

この「レップ」という意味についてですが、アメリカ式の、向かっ左肩から斜め下に流れたストライプ柄(リバース)と同義のように思われている方が、意外に多いですよね。

「レップ」って、「畝(うね)織り」のことですから、無地やドットの「レップ」もあるわけです。

また、ストライプ柄がリバースで、ポプリンのタイもあるわけで、これを「レップ・タイ」と言うのは、変です。

要するに、ブルックスブラザーズの「レップ・タイ」とは、リバースの畝織りシルクのタイ、ってことですね。



さて、ブルックスブラザーズにおける「レップ・タイ」の歴史に関して、ブルックスのHP(だったと思う)に、以下の文章がありました。
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『ネクタイの起源には諸説ありますが、今日的なスタイルの先駆けは1880年。

英国オックスフォード大学エクセターカレッジ校の学生たちが、スクールカラーに染められた麦わら帽のリボンを外し、首に巻いたのが始まりとされています。

これに倣い、他校の学生たちがテーラーで誂えたのがクラブタイとなり、英国軍の各連隊もレジメンタルストライプ(連隊縞)に染めたタイを着用するようになりました。

そして英国の紳士たちにも広まっていったのです。

それまで男性のネックウェアといえば蝶ネクタイが主流でしたが、こうした最新の変化を当時英国で目の当たりにしたのが、ブルックスブラザーズの上級パートナーであり、のちに社長も務めるフランシス・G・ロイド。

彼は1890年にそのタイをアメリカに持ち帰り、「シルクフーラードネクタイ=捺染(プリント)されたシルク製タイ」として売り出したのです。

ロイドが英国からもたらしたタイは大好評を博しました。

そしてブルックスブラザーズは自社でタイの製造・販売を開始し、新しいネックウェアとして瞬く間に全米へ広まったのです。

1920年代には英国のレジメンタルストライプを反転させ、右下がりのストライプのレップタイを考案、アメリカ流として定着させるなど、カラーやデザインのバリエーションも豊富となり、タイはブルックス ブラザーズに欠かせない看板アイテムとなりました。

(中略)

今日ブルックスブラザーズの店頭に並ぶタイには、ロイドが100年以上前に英国から持ち帰った柄も含まれています。

果たしてそれがどの柄なのか、思いを巡らせながらタイを選ぶのも一興なのではないでしょうか。』




気になる行は、「1920年代には英国のレジメンタルストライプを反転させ、右下がりのストライプのレップタイを考案」という部分です。

「1920年代」という時期に「反転」というの記述は、他の所でも度々出て来ます。

1919年に英国皇太子(後のウインザー公)が訪米した際、彼が近衛歩兵第一連隊のレジメンタル・ストライプのシルク・レップ・タイをしていたのがきっかけで、1920年代にアメリカでレジメンタル・ストライプが大流行したことは、有名な話です。

この歴史事実のインパクトに気をとられ、レジメンタル・ストライプを反転させたのが「1920年代」だったという「錯覚」を起こしてしまったのでしょうか?

1902年の間違いでは?(笑)

今一つ、はっきりしません。(苦笑) 
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           1911年のカタログより
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           1915年のカタログより



「GENERATIONS of STYLE」でも「レップ・タイ」について触れている箇所がありますので、一つご紹介しておきます。
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『ブルックスブラザーズは、一貫してネクタイを自社生産することで、高い品質と適正な機能を約束してきた。

シルク100%のネクタイを自慢する企業は多いが、シルクといっても品質は一様ではない。

カイコの繭(まゆ)一つからは、約3マイルの絹糸がとれるが、ブルックスブラザーズのネクタイに使用されるのはその真ん中の1マイルだけである。

現在でもブルックスブラザーズのネクタイの大半はたてまつりで手縫いされているため、自然で丈夫に仕上がり、結び目の負担も少なく、誰がつけても心地よくおさまるのである。

(ロング・アイランド・シティの工場には、このたてまつりの作業を50年間にわたっておこなっている女性がいる。)』
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でも、最近の「レップ・タイ」の生地の厚み、昔のものに比べ、薄くなったような気が、しないでもないのですが・・・(苦笑)
by yabushun | 2012-08-20 20:08 | CLOTHING | Comments(0)
ドキュメンタリー「天皇の世紀」
スカパーの「日本映画専門チャンネル」で、ドキュメンタリー「天皇の世紀」が再放送されています。

もう、無茶苦茶に面白い~!

原作となっているのは、大佛次郎による未完の長編史伝「天皇の世紀」です。

明治天皇誕生、大政奉還、戊辰戦争など、幕末の日本の激動と国家成立までを、膨大な資料から丹念に調べあげられ書かれた、あの大作であります。

大阪・朝日放送開局20周年記念番組として、まず1971年にドラマ版が放映され、それを引き継ぐ形で、1973年から新シリーズとしてドキュメンタリー版が放映されました。

日曜、午前10時半からの30分番組で、全26話でした。

オープニングの部分だけは、子どもの頃、何度か見た記憶がありますね。

今、再放送しているのは、このドキュメンタリーの方で、何と40年ぶりの再放送らしいです。
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チョンマゲ姿の武士が新幹線に乗り、現代のパリの街並みを歩く。

大政奉還の場面では、現代の記者が関係者に直撃取材し中継する。

再現シーンを見ながら、登場人物の末裔にあたる人や歴史学者にインタビューをする。

といった具合に、原作を踏襲しつつ、ドラマ、ワイドショーなど、テレビ的手法が駆使され、新感覚のドキュメンタリーに仕上げられております。

山本學による勝海舟なんて、ソックリ過ぎて、ゲラゲラ笑いました。
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で、特筆すべきは、ホスト役の伊丹十三の存在感であります。

ドキュメンタリーとドラマ、現代と過去を縦横無尽に飛び回り、番組を進行させていく姿に唸らされます。

好奇心に満ち、常に疑問を持ちながら、「大佛」史観を掘り下げていく彼の生き生きとした精神が、TVの画面から、もう溢れ出しておりまして、あらためて、この人の才能、魅力、再認識させられている所です。

再放送の「再放送」は9月にあるようなので、興味を持たれた方は、是非御覧になって下さい。

ちなみに、今のところ、ドキュメンタリー版の方のDVD化は、されておりませ〜ん。

   
      ドキュメンタリー「天皇の世紀」テーマ曲 
      作曲/富田勲
by yabushun | 2012-08-16 19:12 | CINEMA&DRAMA | Comments(7)
港が見える丘
  
    平野愛子「港が見える丘」1947年(昭和22年)


作詞・作曲/東辰三

ビクター戦後最初のヒット曲であり、平野愛子のデビュー曲にして、昭和を代表する名曲中の名曲。

旧制神戸高商(現神戸大)を卒業した東辰三がこの歌を作ったのは、ビクター(当時の本社は横浜)に入社してからなのですが、神戸、横浜という、2つの港町のイメージを重ねて作ったようです。

その東辰三が「濡れたビロウド」と形容した平野愛子の歌声は、この曲が持っている、ある種の「もの悲しさ」を増幅させ、猛烈に郷愁を誘います。

何度聴いても、その度に、涙が出て来ちゃうんですよね。(苦笑)
by yabushun | 2012-08-16 07:00 | MUSIC | Comments(0)
休戦協定=降伏文書の調印式
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            日本側代表団
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前列向かって左側が、重光葵・外務大臣(政府全権)。

右側が、梅津美治郎・参謀総長(大本営全権)。

2列目の、シルクハットを被っている左側が、岡崎勝男・終戦連絡事務局長官。

同じく、シルクハットを被っている右側が、加瀬俊一・内閣情報局第三部長。

そう、オノ・ヨーコの親戚になる方です。
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ところで、この降伏調印の舞台をつくるにあたって、マッカーサーは知恵を絞ったと言われています。

まず、戦艦ミズーリー号を、90年前のペリー提督の旗艦ポーハタン号が停泊した場所に停泊させております。

甲板には、3日かけて運ばせた2枚の星条旗が飾られ、1枚は真珠湾攻撃時にホワイトハウスに飾られていた物、もう1枚は1853年の黒船来航時にペリーの艦隊が掲げていた物でした。

また、日本側代表団を威圧するために、調印会場の甲板デッキに、180cm以上の兵士を並べたりもしております。
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    カッタウェー・コート姿の重光葵(しげみつまもる)


彼は、上海天長節爆弾事件(1932年)で重傷を負い、右脚を切断し、重さ10kgの義足をしていたわけですが、降伏文書の調印式を「不名誉の終着点ではなく、再生の出発点である」ととらえ、堂々と胸を張って立っておりました。

特定の政治家を取り上げるのは不本意なのですが・・・こういう毅然たる態度、カッコ良いと思うんですよね〜。
by yabushun | 2012-08-15 18:51 | Comments(0)
「終戦記念日」について
日本政府は、8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とし、全国戦没者追悼式を主催しています。

世間一般でも、8月15日は「終戦記念日」や「終戦の日」と称され、第二次大戦が終わったのが8月15日と勘違いされている人が、結構多いのではないでしょうか?

1945年8月15日は、前日に公布された「大東亜戦争終結ノ詔書」を天皇が朗読し録音したレコードを、NHKラジオが放送し、国民にポツダム宣言の受諾と降伏の決定が伝えられた日です。

しかし、当事者の一方がやめる意思を示したら戦争が終わるものでなく、「終戦」するには、戦っている双方が戦争が終わったと確認しあう必要があります。

戦闘行為を停止し、休戦協定を結び、講和条約の交渉をして調印、という手順を踏んで、初めて「終戦」となる筈です。

つまり、天皇が「時局を収拾したい」とか「共同声明を受け入れることにした」とのべるたのは、その手順の一部に過ぎません。
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日本は、1945年9月2日、東京湾に停泊していた米国艦船ミズーリ号で、降伏文書に署名しています。

この9月2日を、アメリカ、イギリス、中国、ロシア(ソ連)等では、「対日勝戦記念日」と呼んでいます。
by yabushun | 2012-08-15 04:50 | Comments(0)
水茄子
先日、JR大阪三越伊勢丹のブルックスブラザーズに行った帰り、地下の期間限定食品セールで「馬場茄子」が出ていたので、ゲットしました。

テンション上がりましたね。(笑)

私が住む大阪の泉州地域は「水茄子」で有名なのですが、中でも「馬場茄子」は、大阪府貝塚市の馬場地区のみで作られる「幻の水茄子」で、滅多に市場に出る事がないのですよ。

広告にも、百貨店初出品と書かれておりました。



「茄子」の原産地はインドといわれているらしいですが、日本では奈良時代の書物に記録があることから、少なくとも1,200年以上前から栽培され、食べられていたようです。

栽培の歴史が非常に長いため、古くから品種が分化、発達し、栽培されている土地に合うよう独自の品種が生まれました。

「水茄子」もそういった地方品種の一つであり、日本各地で栽培されていますが、特に大阪の泉州地域では盛んに栽培されており、 最近は「泉州特産品」として全国的に有名になっているようです。

私が子どもの頃は、そんなに有名ではなかったんですけどね。(苦笑)



本来「茄子」は、灰汁が強く、生食には向かない野菜なのですが、「水茄子」は、他の茄子に比べ、その名の通り水分が多くて柔らかく、灰汁も少なく、ほのかに甘みもあって、生食が可能です。

昔は田畑の片隅に植えられ、炎天下の農作業でのどが渇いたときに食べて、渇きを癒す、そんな茄子だったといわれています。

一番多い食べられ方は、軽く塩もみし、糠漬けにして、でしょうね。

以前、「水茄子」の美味しいの食べ方を色々実験したコトがあるのですが、やはり、夜漬け込んで朝食べる「浅漬け」が一番美味かったです。
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      馬場茄子(578円/個)と市川孝さんの皿


甘み、食感ともにバランスが良く、上品なお味でした。(笑)

漬物の状態で販売されておりましたが、糠床に長時間漬け込んでると辛くなりますので、購入後、なるべく早く食べる方が良いと思います。

あと、間違っても、包丁で切ったりしないように。

手で割いて食べるコト。
by yabushun | 2012-08-14 03:24 | FOODS | Comments(0)