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Nina Simone

      Nina Simone「Love Me Or Leave Me」


かしまし娘の正司照枝(次女)か花江(三女)に、ちょっとカスってへん?なんて言ってるのは誰ですか?

途中、ギターが耳障りなのか、ピアノ・ソロが終わる辺りから、軽くブチ切れぎみになっているようにも聴こえるのですが・・(笑)
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ニーナ・シモンの1stアルバム「Little Girl Blue /Jazz as Played in an Exclusive Side Street Club」(1957年)は、愛聴盤の1枚です。
by yabushun | 2012-07-31 22:37 | MUSIC | Comments(0)
ジーンズ
滅多なコトでは穿かないジーンズを、十数年ぶりに購入しました。

ちょっと興奮しております。(笑)

「ジーンズ」なんて言っちゃいましたが、基本的には「Gパン」って言っております。

そういう世代なんです。(苦笑)
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           TOYS McCOY 135D


私が初めてGパンを手にしたのは、小学校入学前後だったような記憶があるのですが、その時母親に、私より弟の方がGパンが似合うというようなコトを言われ、以来、母と弟とGパンに対して、斜に構えたような態度をとって生きて来た経緯があります。(笑)

小中学校の頃(1970年代)には、大阪市内の「アメリカ村」情報が、悪い先輩達から入り出し、ビンテージ・リーバイスの存在を認識し出しましたが、当然、斜に構えておりました。(笑)

「アメリカ村」も今とは全然違い、サファーやアメリカ輸入雑貨の店が出来はじめて、有名になり出す前夜ぐらいでしょうか。

この辺はもともと「炭屋町」と呼ばれる炭問屋が集まる町だったらしいのですが、VANの前身の石津商店発祥の地でもあり、ヒップな雰囲気が潜在的にあったのでしょうね。



ところで、現在「IVY」的なコーディネートを意識的にされてる若者は、ブルー・ジーンズを当たり前のように穿かれていますが、オッサンの感性からすると、50〜60年代「IVY」のイメージは、ホワイト・ジーンズなんですよね。(苦笑)

マドラスチェックのスポーツコートも、昔の草木染めのヤツは色が滲んだりして、これを「泣き」と呼んだりしていましたが、下手したら薄汚れたムード漂うものでした。

これを落ちぶれた感じでなく、綺麗に、爽やかに着こなすのが、所謂「IVY」的だったのだと思います。



ジーンズは周知の通り、1870年代にヤコブ・ディビスという仕立て職人が、木こりの依頼でキャンバス地で作った丈夫なワークパンツを考案し、リーバイ・ストラウスに提携を申し込み、それが金鉱掘りや鉄道工夫の間で評判になったものでした。

労働着であったジーンズはやがて、過酷な労働を強いられるカウボーイの間でも人気を得るようになります。

1947年、ブルーベル社によって、カウボーイ御用達のジーンズ、ラングラー11MWが発表され、1948年にはデニムの縮みに対応して使用されていたボタンをフロント・ジッパーに改良した13MWZが発表されます。
          
このラングラー社は、生みの親であるロデオ・ウェアの仕立屋、ベンジャミン・リキテンスタインの意思に基づき、カウボーイの最大の憧れ、ロデオ大会を主催するに至り、優勝者に賞金、トロフィを与えるようになりました。
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当然、ロデオ・カウボーイはラングラー社に敬意を払い、彼等はロデオ大会において、ラングラーのジーンズ以外は穿かなくなったのです。

しかも、センター・クリースをビシッ!と入れて穿いたんですね!

センター・クリースは擦れて、やがて折り目の色が白く抜けますが、これが彼等にとって自慢だったのですね。
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       映画「ポケットマネー」1972年より
       P・ニューマンのジーンズに注目や!


長々と書き連ねましたが、何でもかんでもボトムにジーンズを持って来るコトや、何処でも小汚いジーンズを穿いて行くのって、ダサいんじゃないか、というコトを言いたかったのかな?(笑)

あと、くれぐれも、ビンテージのリーバイスに軽石でセンター・クリース入れて、後で取り返しのつかないコトやってしもたと後悔しても、私の責任じゃ〜ありませんからね〜。(笑)
by yabushun | 2012-07-29 05:24 | CLOTHING | Comments(0)
BONORA
何でアンタ、そんなん持ってるねん、と言われそうな靴。

この時期、たま〜に履くんですよ。(笑)
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ボノーラは、イタリア・ボローニャにて1878年創業の、最も古い革靴のファクトリー・ブランドの一つでした。

画像のものは、所謂、旧ボノーラで、現在の「Goodyear」と記載されているものとは別物です。

200近い工程を、熟練職人によって、ほぼ手作業で作り上げられた靴なんですね。

釣り込みも手作業、ウエルト付けもハンドソーンで仕上げているため、ソールの返りが非常に柔らかいんですよ。

それを考えると、昔の販売価格、けっして高くはなかったですね。
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ほら、ケツ、割れてへんでしょ?(笑)

美しいシームレス・ヒールも、特徴の一つなのです。

他が真似出来ないと言われたその技術は、ジョン・ロブのトップレンジの靴の製作を請け負っていたことでも知られていました。

まぁ〜、私にとっては、そんなに興味ある話ではないんですがね。スンマセン。(苦笑)
by yabushun | 2012-07-27 01:23 | SHOES | Comments(2)
Isley Brothers
   
     Isley Brothers「Summer Breeze」1973年


暑い日が続いておりますんで、暑中見舞い代わりに・・・何てね。

「何がサマー・ブリーズや。もうすぐ盆やないか」とか、「選曲がベタ過ぎやろ?」みたいな、文句言わないでね。(笑)

もともとは、シールズ&クロフツ(Seals & Crofts)の曲で、それをアイズレー・ブラザーズがカバーしたもの。

聴き所は、何と言っても、アーニー・アイズレー、入魂のギター・ソロ。


弓が張ったような状態からほとばしる情感豊かなギターのフレーズに、けっして弱みは見せまいと、人生の辛さはぐっと堪えて来た筈なのに、思わず男泣きしてしまう。

そんな感じでしょうか?(笑)
by yabushun | 2012-07-25 02:21 | MUSIC | Comments(0)
ココナッツ・ストロー・ハット その3
ココナッツ・ストロー・ハットを遂にゲット!

いつもお世話になっている、The Personal Shoppersで探していただきました。
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       これぞ本物!ブルックスブラザーズ製。
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何度も言いますが、ココナッツ・ストロー・ハットは、ブルックスブラザーズがつくり出したものです。(笑)
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    ココナッツ・ストロー・ハット Brooks Brothers
    マドラス・チェックJKT Brooks Brothers
    麻混BDシャツ Brooks Brothers
    ニットタイ Cantini
    コットン・スラックス Brooks Brothers
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マドラス・チェックJKTは、MADE IN U.S.Aで、生地は驚くほどペラペラのフニャフニャのスケスケ。

クレームを考えると、今の日本では、とても販売出来る代物ではないです。(笑)
by yabushun | 2012-07-23 16:27 | HEADWEAR | Comments(2)
ハグラーVSレナード
  
       Pointer Sisters「Yes We Can Can」


もともとはアラン・トゥーサンが、リー・ドーシーのために書いた曲ですね。

初期のポインター・シスターズは、ランバート、ヘンドリックス&ロスぽいコトもやっていて、なかなか味わいあります。

ポインター・シスターズと言えば、1987年、マービン・ハグラーVSシュガー・レイ・レナードの「The Super Fight」での、アメリカ国歌斉唱も忘れられません。

話の持って行き方が、ちょっと強引?(笑)
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さて、この世紀の大一番、スプリット・ディシジョンでレナードが勝利したわけですが、採点結果については大いに疑問が残ります。

あれだけ逃げまくって、クリンチしまくって、しかも一杯一杯だったレナード。

パンチは、実際はブロッキングされまくりで、単に手数だけ。

ポテンシャルの差は歴然で、無理矢理ねじ込んだ12回制でなく、従来の15回制だったら、間違いなくマットに沈められていたでしょうね。

私自身はレナードのボクシング・スタイルの方が本来は好きなのですが、明らかに再戦なんぞ想定せず、この試合を見栄えだけでアウトポイントしようとした闘い方が、非常に姑息だと感じました。

こういうのをリング・ゼネラルシップと履き違えてはいけないと思いますよ。

この時代、一番強かったのは、誰が何と言おうと、やはりハグラーだったと思います。
by yabushun | 2012-07-20 15:30 | BOXING | Comments(0)
三面記事
夏風邪でダウンしとりました。

無精髭が生えまくり、まるでセルジュ・ゲンスブールやな、と思っていましたら、泥棒みたいと言われました。(笑)

相当体力を消耗しましたので、軽い話題を。


かつて私は、新聞の切抜きを、意味もなくするクセがありました。

今もインターネットで、同じようなコトをしています。

テーマの一つは「犯罪」です。

ここ最近、警察官シリーズが充実して来たので、まずはコレからご紹介します。(笑)



2012年06月18日 川崎市の公園で全裸となり女性に下半身を見せたとして、県警交通総務課の巡査部長(34)を公然わいせつ容疑で逮捕。
容疑は16日午後10時40分ごろ、同区坂戸3の「坂戸なかよし公園」で全裸になり、近くの女性事務職員(63)に下半身を見せたとしている。

何で、よりによって、63才のオバハンに見せたのか?(笑)



2012年05月17日 北海道警は17日、札幌ススキノのSMクラブで全裸になったとして公然わいせつの罪で罰金10万円が確定した札幌厚別署(当時)の男性巡査長(28)を懲戒免職とした。
道警監察官室によると、巡査長は2月11日未明、札幌市中央区の無許可営業のSMクラブ内で、全裸で縄で縛られていた際に現行犯逮捕された。

こんな姿で現行犯逮捕される屈辱とは・・・(笑)



2012年04月08日 セーラー服姿で下半身を露出したとして、警視庁武蔵野署などは8日、交通総務課警部補(37)を公然わいせつ容疑で逮捕した。
逮捕容疑は、3月11日午後6時45分ごろ、武蔵野市のマンション内のエレベーター前で、高校1年の女子生徒(16)に「見てください」と声をかけ下半身を見せたとしている。
同容疑者は生徒と一緒にエレベーターに乗り込み、先に降りた後、振り返ってスカートをめくりあげたという。
当時、セーラー服姿で長髪のかつらをかぶっていた。

「見てください」がチャーミングですね。(笑)



次は、今年、最も心動かされた「事件」です。

2012年06月13日 ドコモショップに約1000回クレームの電話をかけたなどとして警視庁千住署は13日、東京都足立区の会社員(50)を威力業務妨害容疑で逮捕。
今年3月で終了した「mova(ムーバ)」について「サービスが終わることが納得いかなかった」と供述しているという。
逮捕容疑は昨年12月~今年2月、千代田区の「ドコモショップ丸の内店」のフリーダイヤルに964回にわたって電話したり、来店して怒鳴ったりし、「ムーバを続けてくれ」と土下座するなどしたとしている。



最後は、ここ数年で最も、おおっ!と思った「事件」です。

2005年12月16日 水路に犬の首29個。
16日午後1時50分ごろ、東京都葛飾区小菅1の水路(幅8.5メートル、水深約50センチ)に「たくさんの動物の頭が沈んでいて気味が悪い」と近くの交番に通行人から通報があった。
駆けつけた警視庁亀有署員が首から切断された犬の頭部29個を確認、同署に回収した。
「大事の前触れでは」と近所で騒ぎになったが、夜になって犬の肉を扱う食材輸入業者の男性(83)が「自分が捨てた」と同署に連絡した。
違法な廃棄物投棄とみて事情を聴いている。
この食材輸入業者は、解体した犬の肉を中国などから輸入し、韓国系などの料理店に卸していた。
犬の頭部は粉砕して精力剤に利用できるが、売れ残りがちで、処分に困っていたという。
2カ月ほど前の夜中、段ボール箱に入れて自転車で運んだという。
by yabushun | 2012-07-19 18:33 | Comments(0)
美空ひばり
   
         美空ひばり「唄入り観音経」


美空ひばりが、如何に凄い歌手かがわかる、貴重な映像です。

「唄入り観音経」は、昭和初期に三門博(みかどひろし)が口演したもので、講釈ネタをもとにした浪曲の演目です。

歌の後半に出て来るのは観音経の一節で、念彼観音力(ねんぴかんのんりき)刀尋段段壊(とうじんだんだんえ)、と唄っております。

意味?わかりません。(笑)
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             照れる「お嬢」


ハリー・ベラフォンテが来日した際、ひばり御殿に招待された時の、有名な話があります。

酔ったひばりが、この「唄入り観音経」をアカペラで歌う。

ベラフォンテは圧倒されて、声もなく涙ぐんで聞き呆けてしまう。

「あなたも何か」と促されるが、「今夜は唄えません。この唄を聴いたあとでは」と。

そしてベラフォンテは、コンサートのレパートリーに組んでいた日本の歌を、オープニングの「さくらさくら」以外は全てやめたいと、プロモーターに申し出たらしいです。
by yabushun | 2012-07-13 12:25 | MUSIC | Comments(0)
桃中軒雲右衛門
   
     桃中軒雲右衛門(とうちゅうけん くもえもん)


大逆事件らしきものが読み込まれた、明治末期(1911~1912年)頃の録音のようです。
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        この総髪にも観客は度肝を抜かれた


「花は桜木〜山なら富士よ〜浪花節なら桃中軒〜」

これは、三波春夫の「桃中軒雲右衛門とその妻」という歌の出だしですが、まぁ〜三波春夫がそう唸るほどですから、桃中軒雲右衛門(1873ー1916年)とは、伝説的な浪曲師なんですね。

父親は祭文語り、母親は三味線弾き。

亭号は、沼津駅の駅弁屋である「桃中軒」に由来し、名は、桂米朝や小沢昭一の師匠である正岡容(まさおかいるる)によれば、兄弟分であった力士の「天津風雲右衛門」に由来するとされています。

20~30秒の間、まったく息継ぎをせずに一気に語る「三段流し」と呼ばれる歌唱法が有名で、雲右衛門が三段流しをやると、聴衆もそれに合わせて息を継げなくなってしまうほどで、その歌唱には魅力があったそうです。

所謂「義士伝」を完成させ、「武士道」を鼓舞し、それまで寄席芸であった浪曲を劇場へ進出させ、浪曲を社会的に浸透させていった第一人者で、極めつけは、明治45年(1912年)の歌舞伎座での独演会でしょう。

この時、歌舞伎界の名優たちは、こぞって雲右衛門の登場を阻止しようとしたらしいです。

もともと賤民芸であった歌舞伎は、いつの間にか「権威」の側となり、歌舞伎座の檜舞台が穢されたと、雲右衛門が立った舞台を、後からカンナで削らせたぐらいですからね。



ところで、何で、いきなり浪曲なのか?

実は、好きなんですよ〜。(笑)

子どもの頃、広沢虎造の「石松金比羅代参」「石松三十石船道中」みたいな定番は、暗記してました。(笑)
by yabushun | 2012-07-12 14:23 | MUSIC | Comments(0)
VOCマークの皿
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         柏木博「玩物草紙」平凡社より


テーブルと椅子は、バーナード・リーチのためにデザインされたものとのコトで、松本民芸製だと思います。

(ちなみに私は、松本民芸の家具、コツコツ集めております。)

コーヒーセットは1920年代アンティーク。

ティーカップと皿は、「オランダ東インド会社」の復刻もの。

ふ〜ん、こんなの出てたのかと思い、調べたら深川磁器製でした。
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1602年にオランダで設立さた、世界初の株式会社といわれる「オランダ東インド会社」は、オランダ語で「Vereenigde Oostindische Compagnie」なので、略称で「VOC」と表記されます。

オランダ東インド会社は設立後、東洋貿易に乗り出しますが、中国からの輸出品として喜ばれたのが「芙蓉手(ふようで)」の磁器でした。

17世紀の前半には、大量の芙蓉手の磁器がヨーロッパに運ばれています。

皿の内側の縁が6つの区画に仕切られていて、区画の一つ一つを花びらに見たてると、芙蓉の花の開いた状態のように見えるので、こうした模様をもつ陶磁器を芙蓉手と呼ぶようです。

しかし、それまで中国を支配していた明王朝が滅亡し、清王朝になって、中国からの焼きものの輸出がストップしてしまいます。

そこで、人気商品であった芙蓉手の磁器を、別のところに注文して作らせるコトを考えたのでした。

当時のヨーロッパは、まだ磁器を作れるだけの技術がなかったのです。

彼らが注目したのが、日本の「有田焼」でした。

日本では、朝鮮半島から来た李参平により、17世紀の初めには既に有田で磁器生産に成功していたのです。

そう言う訳で、日本が鎖国時代、オランダの東インド会社の注文によって輸出された、VOCマーク入りの有田焼が存在するワケです。



有田焼のことを「伊万里」と呼びますが、これは有田焼の多くが伊万里から出荷されたことによるものです。

古伊万里は、骨董屋でも昔からアイドル的存在ですが、VOCのマークが入った東インド会社の皿があったなら、普通は欲しいと思うでしょ?(笑)

でも、値段を訊いたら、普通は諦めます。(笑)

そんな、私みたいな人にピッタリなのが、このレプリカ。

普段使いも、ガンガン出来ますよ。
by yabushun | 2012-07-07 13:15 | TABLEWARE | Comments(0)