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カテゴリ:ARCHITECTURE( 7 )
壁面
ここ最近、「額縁」「額装」について色々調べているのですが(笑)、結構深いテーマが横たわっているということが分かってまいりました。

現在の「額縁」の原型となるような、ヨーロッパにおける「額」の歴史は、キリスト教会の壁画や祭壇画の為の「額」が始まりと考えられているようです。

一方、日本には二通りの大きな歴史の流れがあるようです。

一つは、神社や仏閣の鳥居や軒下に掲げられた木彫りの「篆額(てんがく)」や、茶室の門名や堂名を彫り込んだ「扁額」、そして襖絵や屏風から、鴨居にかけられる横長の書などの「和額」に至る歴史。

掛け軸(紙額)もこの流れの一つに分類します。

もう一つは、宗教画や油彩画の縁取りの装飾としてヨーロッパから入って来た、所謂、「洋額」の歴史です。



日本では、壁面は、「額」を飾って絵画を楽しむ場所ではなかったのは確かですね。

今でも、「額」を飾ることを前提した建築設計って、余りないと思います。

では、日本の伝統的家屋における壁面とは、という話になると、必ず出てくるのが、昭和8年から9年にかけて「経済往来」に書かれた、谷崎潤一郎の「陰影礼賛」であります。

面白い視点に感心もするのですが どうも論理に飛躍があり、結局は、

『私は、われわれが既に失いつゝある陰翳の世界を、せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。文学という殿堂の檐(のき)を深くし、壁を暗くし、見え過ぎるものを闇に押し込め、無用の室内装飾を剥ぎ取ってみたい。それも軒並みとは云わない、一軒ぐらいそう云う家があってもよかろう。まあどう云う工合になるか、試しに電燈を消してみることだ。』

という締めからも分かるように、自分の文学スタイルに関する、あくまで随筆というかエッセーで、日本の美意識を相対化して考察したという類いのものでは、ないと思うんですよね。

あと、これが書かれた時代背景も、知っておくべきだと思います。



で、ここから本論を展開すべきなのでしょうが、まだ、そんな段階には至っておりませんので、出来ません。(笑)

その代わりに、一緒に画像見て、あれこれ考えてみましょう。
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京都の山崎にある妙喜庵(みょうきあん)の方丈に付属してる「待庵(たいあん)」。

確証はないのですが、江戸時代から、千利休の作と伝えられて来た茶室です。

現在日本には、国宝指定されている茶室が三棟あり、その内の一つ。

残りの二つは、犬山の「如庵(じょあん)」と、大徳寺の「密庵(みったん)」なんですが、当然、見たいですよね?(笑)

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如庵

旧・建仁寺正伝院茶室 織田有楽斎好み

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(クリックすると大きな画像が見れます)
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(クリックすると大きな画像が見れます)
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大徳寺塔頭(たっちゅう)龍源院 密庵

伝小堀遠州好み



う〜ん、ピクチャー・レール付けて、ワイヤーで「額」吊るすのは、ちょっと無理っぽいですね。(笑)

ちなみに、個人的に最も惹かれるのは、書院風茶室の密庵です。
by yabushun | 2014-08-05 08:19 | ARCHITECTURE | Comments(0)
Liach Bar
1965(昭和40)年、大阪ロイヤルホテル(現・リーガロイヤルホテル)開業の際にオープンした、英国cottage風の「Liach Bar」。

基本的コンセプトは、山本為三郎社長(当時)と柳宗悦によって練られたもので、設計は、バーナード・リーチと吉田五十八。
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             山本為三郎
      (アサヒビール大山崎山荘美術館HPより)
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              柳宗悦
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          Bernard Howell Leach
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             吉田五十八

店内は、河井寛次郎、濱田庄司、芹沢桂介、棟方志功らの「民藝」作品が、英国バーと解け合い、独特のムードが漂う、素晴らしい空間となっております。

私、酒は飲めないのですが、このバーの雰囲気、大好きなんです。
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   鍛鉄(ロートアイアン)のシャンデリアも良いですね


「網代垣(あじろがき)」という、竹を叩き延ばしたものを網代に組んだ垣がありますが、それを丸竹にしたような意匠の壁が、非常にユニークです。

この壁は「籐蓆(とうむしろ)」というものだという解説の文章を読んだことがありますが、「籐」でも「蓆」でもないと思うんですがね・・・。



日本国内では竹は200種類あるとされ、つまり、素人には見分けが出来ないくらい品種が存在するわけですが、古来より建築材料として使われるのは「真竹(まだけ)」です。

その中でも良い建材と言われるものは、「内地もの(国産)」で、最も強度の上がる4~5年ものの成竹で、糖分が少ない(虫がつきにくい)11月から12月中旬(切り旬)に伐採されたもの、となります。

伐採したままの青竹は、腐ったり、虫が入ったりしますので、耐久性を高めるために「油抜き」をして、白い竹=晒竹(さらしたけ)にすることによって、ようやく素材としての竹材となります。

油抜き(晒し)の方法は、苛性ソーダを入れた熱湯で煮沸する「湿式」と、火で炙って油を抜く「乾式」の2つの方法があります。

「乾式」の方が色艶良く仕上がりますが、大変手間がかかりますので、「湿式」に比べ、めっちゃコストがかかります。

何も考えずに大量発注してしまうと、後でシビれてしまいますよ。(笑)



数寄屋建築の化粧材としても使用されることが多い竹ですが、竹にも木と同じように「末」=空に近い部分、と「元」=根に近い部分、があり、例えば、廻り縁などは、右「元」で廻していくのが、正しい使い方らしいです。

また、竹は、節の間の内部が中空になっていて、縦方向に割れやすく、空調を施す室内に使用すると、空気層が膨張して破裂してしまう可能性があります。

そのため、造作材として使用する時は、背面に空気穴を1節につき2箇所以上空けるか、芯にスギ材などを入れて変形に対処する必要があります。



突然、取り憑かれたように、何書き出してるんや? とお思いになった方もいらっしゃるかも知れませんが(笑)、本当は、まだまだ書きたいことがあるんです。

とりあえず、バーナード・リーチが「再発見」したように、私たちも、建築素材としての竹を、今一度見直してみる機会、あっても良いのではないでしょうか? というお話でした。
by yabushun | 2014-01-12 03:07 | ARCHITECTURE | Comments(0)
黒い壁
私の住む大阪泉州地方の、古い民家の特徴的なものの一つに、「黒い色をした壁」があります。

この「黒い壁」の正体は、石灰と土をブレンドした、所謂「大津壁」仕上げの表面に、「墨」をノロと混ぜて薄く塗ったものです。

したがって、「鼠漆喰」でも「黒漆喰」仕上げでもありません。

何故かこのコト、古民家再生を専門とする建築家の方も、ご存知ない。

フィールドワークすれば、すぐ気付くコトなんですがね。(苦笑)

泉州地方の民家の様式については、素人ではありますが、私なりに、かなり調べたコトがあります。

しかし、どうして、この「黒い色をした壁」が定着したのかは、未だに理由がわかりません。



十数年前、私はこの「黒い壁」を再現すべく、「墨」についても調べたコトがありました。(笑)

伝統的製法による「墨」には、菜種、胡麻などの液体油を燃やして採った「煤」でつくられる「油煙墨(ゆえんずみ)」と、松材を燃やして採った「煤」でつくられる「松煙墨(しょうえんずみ)」の二種類があります。

両者は質が違い、それぞれに特色があるのですが、歴史が古いのは「松煙墨」の方であり、現在、入手困難なのも「松煙墨」です。

この「煤煙(ばいえん)」に「膠(にかわ)」(炭素粒子を水に溶かす仲介をする)と香料を混ぜたものが「墨」になるのですが、現代の大量生産の時代とともに、「墨」の原料である「煤煙」は「カーボンブラック」に、「膠」の代わりに「合成樹脂」が、原料と変わっていきました。

「煤煙」とりわけ「松煙」は、作るまで無茶苦茶手間暇がかかり、「膠」は独特の悪臭や低温に対する弱さ(固まる)があり、それぞれ前述の材料に座を奪われた経緯があります。

で、伝統的製法と現代の製法、両者の「墨」としての色合いの違い、あるのでしょうか?

ハイ、「味わい」が決定的に異なります。(笑)

習字されている方は、お詳しいのではないでしょうか?



ところで、「松煙墨」による「黒い壁」再現実験をやってみて分かったコトですが、建築家屋の類いに使用するには、高価過ぎますね。

多分、次回する時は、「油煙墨」を使うかも知れません。(笑)

しかし、十数年前の「黒い壁」再現実験の時にお世話になった、「墨工房紀州松煙」(http://www.kishu-shoen.com/)の堀池さんから、今でも年賀状が届くんですよね・・・。(笑)
by yabushun | 2013-04-02 08:33 | ARCHITECTURE | Comments(0)
無鄰菴
明治時代の代表的庭園として、京都・南禅寺参道前にある、山県有朋の別荘であった「無鄰菴(むりんあん)」がよく取り上げられます。

作庭は、植治こと七代目小川治兵衛。植治とは屋号であります。

明治初期の廃仏毀釈で、縮小を余儀なくされた南禅寺の寺領は民間に払い下げられ、この付近は高級住宅地となりました。

無鄰菴は、その別荘・別邸群の先駆け的存在で、その後次々にできた付近の別荘の中にも、植治が手掛けた庭が多数存在します。

さて、もうこの時点で既に私のハートはかなり暗くなっているのですが、今回は無鄰菴の出自でなく、中味についてがテーマであります。
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植治のスタイルは、茶庭の露地のような形態を取り入れながらも、自然風景的描写を取り入れ、例えば琵琶湖疎水を利用して水を使い、それに違和感のないように捨石や石組が配置されているのが特徴と言えましょう。

本来なら立てる石を寝かし、存在感を誇示させず、とにかく優しい雰囲気にまとめあげているわけです。

庭園に興味を持つ者なら、すぐ植治の作品だと解るぐらい、植治ワールドなのであります。

しかし、他人の家の庭を見て言うのも何なんですが、酷くツマラナイ、退屈な庭、というのが私の意見です。(笑)

技術的には見るべきものがあり、親しみやすい庭かも知れませんが、そやから何やねん、という感じです。

こんなん見て、有り難がってはいてはいけませんね。(笑)

日本古来の庭園は、こんな女々しい、説得力の欠如したものではありませんでした。

植治は一流の庭師だったのでしょう。最終的には施主のセンスが反映されたもの、と理解すべきなのかも知れませんね。

問題は、この植治独自の作風、意匠の、表面だけをなぞったものが、その後、日本庭園の代表的なるものとして定着していったコトでありましょう。
by yabushun | 2012-02-11 01:51 | ARCHITECTURE | Comments(0)
壺庭
「つぼにわ」を広辞苑で調べると、【坪庭】「屋敷内の庭園。中庭」と出てきます。

しかし、この説明は、ちょっと雑と言わざるを得ません。

現在「つぼにわ」は、室と室との間の空間にある庭園のコトを言うようですが、「つぼ」に関して従来的には「坪」「局」「壺」が字を当てはめられて来ました。

正しくは「壺庭」のようです。

数坪の小さな庭なので「坪庭」というは、尤もらしいのですが、しかし誤解を与える当字とも言えます。
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        京都大徳寺 龍源院 阿吽の石庭


では、一体「つぼ」とは、何を意味しているのでしょうか?

庭園史家の重森完途(重森三玲の息子)によれば、「つぼ」は、
「区切りした場所とか、周囲を仕切ったという意味の『搾(つぼ)かなる』からきている」
とのことです。

「搾」は「窄(さく)」が音をあらわし、語源はおし縮めるの意の「縮」で、おしつけて容積を小さくするという意味があります。

「窄」は、せばまり近寄る意の語源「迫」からきていて、穴室の周囲の隣壁が切迫してせまいという意味があるらしいです。

また「窄」は、「すぼむ、つぼむ」とも読め、「すぼむ、つぼむ」からには、原状への再生も可能という意味も込められていると言えましょう。

つまり、「つぼかなる」空間は、外から包み込むように閉じて凝縮した空間で、包み込まれた中は、如何に小さな空間であっても、全空間、大地の営み、生命を宿している、そんな意味合いの空間なのでしょうね。

したがいまして、数坪ほどの小さな庭でも、あるいは京都御所の大きな庭でも、「つぼかなる」空間を構成していたのなら、等しく「つぼにわ」であることになります。(笑)

要は、漢字でなく、「つぼ」という言葉が重要なのですね。


   
        「ハクション大魔王」1969年
    作詞/丘灯至夫  作曲/市川昭介 歌/嶋崎由理
by yabushun | 2012-02-10 02:13 | ARCHITECTURE | Comments(0)
頼久寺庭園
「水琴窟(すいきんくつ)」の原型と言われる「洞水門」は、小堀遠州が18歳の時に考案したらしく、コレを見て師匠の古田織部は腰を抜かしたらしいです。(笑)
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       「遠州流茶道 綺麗さびの世界」より


その小堀遠州が20代前半頃の、初期の代表作が、この頼久寺(らいきゅうじ)の庭です。
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愛宕山を借景とした、鶴亀の庭と呼ばれる禅院枯山水蓬萊庭園様式の庭園でありますが、この借景を取り入れる古来の技法も、遠州が復活させたものと言われています。
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      サツキの大刈込みは、大波を表現しています。


岡山に行かれる機会がありましたら、是非直接観ていただきたいと思うのですが、1600年代初期につくられたコトが信じれないほど、前衛的な庭です。
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どの角度から眺めても絵になる工夫がなされており、庭を前に静かに座っていると、まるで波の音がして来る錯覚にとらわれます。

ズバ抜けたセンスと設計力だと思いませんか?

そういうわけで、今後このカテゴリーでは、「日本的」なるものと思われているもとは、一体何なのか?をテーマに追求していきたいと思います。(笑)
by yabushun | 2012-01-28 01:07 | ARCHITECTURE | Comments(0)
真の飛石
実は私、古建築や庭園が大好きでして、このブログでも「ARCHITECTURE」というカテゴリを設けてはいるのですが、話題が散漫化&線香臭くなると思い、あえて書いて来ませんでした。

しかし、いつか書くネタがなくなることを想定して、ちょっと布石を打っておこうと思います。(笑)
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   桂離宮 御輿寄(みこしよせ)前庭の敷石と突止め石


画像は、「桂御別業記(かつらおんべつぎょうき)」に
「前に名高き遠州好みの真の飛石あり」
と記された、有名な「真の飛石」と呼ばれている飛石です。

「遠州好み」の「遠州」とは、小堀遠州のことですが、「真の飛石」と聞いて、ちょっと待ったらんかい!と思われた方、いますでしょうか?

「真の飛石」の「真」とは、「真・行・草」の「真」の意味で、そもそも「飛石」自体が「草」体であることを考えれば、それの「真」体って何やねん?ってことになるのです。

ちなみに、「真・行・草」とは、書道の「楷書(真に相当)・行書・草書」という三種の筆法からきたもので、本来の形(真)から、それを少し崩した行書、そして最も字形を崩した草書、という意味の三段階分類のことです。

そうそう、「飛石」が日本独自のモノって、ご存知でしたか?


「飛石」は、千利休の考案によるものとされています。
by yabushun | 2012-01-10 11:25 | ARCHITECTURE | Comments(2)